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辞めるほどではない。でも満たされない①なぜ、あんなに悲しかったのか

働き方・仕事の悩み

職場に大きな不満はない。

いわゆるブラックでもない。

それなのに、どこか満たされない。

辞める理由はないのに、心が少し冷える。

職場で「自分だけ情報を共有されていない」と感じたことはありませんか。

それは小さな出来事でも、強い疎外感につながることがあります。

「ああ、やっぱり私はこの程度なんだ」

そう思ってしまった出来事がありました。

あるとき私は、自分だけ知らされていなかったと気付いた瞬間がありました。

誰かに嫌われたわけでもなく、悪意があったわけでもない。

それでも、情報の流れの中に自分がいないと感じたとき、私は静かに涙が出ました。

そのとき私は、環境を疑うより先に、

私はその程度なのかもしれない

と思ってしまったのです。

けれど後から気づきました。

問題は出来事だけではない。

もしかすると、私が無意識に持ち込んでいる思考の癖もあるのではないか、と。

環境を変えれば全て解決するわけではない。

でも、自分を理解せずに環境だけを変えれば、同じことを繰り返す可能性もある。

この記事では、

「辞めるほどではない。でも満たされない」

という状態を、感情ではなく構造で整理してみたいと思います。

楽ではありません。でも冷静に見極めることができれば、「私はまだやれるかもしれない」と思える瞬間はきっとあるはずです。

私は外側なのかもしれない

なぜ、あんなに悲しかったのか

何気ない一言でした。

「それ、前にみんなで話してたよね」

その”みんな”の中に、私はいなかった。

たったそれだけのことです。

責められたわけでもないし、仲間外れにされたわけでもない。

でもその瞬間、胸の奥に浮かんだのは、

「ああ、やっぱり私はこの程度なんだ」

という言葉でした。

誰かに言われただけではありません。

私が自分に向けて言った言葉です。

この程度。

わざわざ共有しなくてもいい人。

あとからでもいい人。

中心ではなく、少し外側にいる人。

大事にされていないわけじゃない。

嫌われているわけでもない。

でも、”優先される側”ではない。

その立ち位置を、私は自分で確定してしまいました。

本当に悲しかったのは、情報をしらなかったことではありません。

「知らなかった私」を通して、「その程度の存在かもしれない私」を自分で認めてしまったことでした。

もしかしたら、ただの偶然だったのかもしれません。

深い意味なんてなかったのかもしれない。

それでも私は、その一瞬で自分の価値を少し下に置いてしまった。

その小さな自己評価の揺れが涙になりました。

悪意はなかった。それでも揺れた理由

あとから振り返れば、あの出来事に悪意はなかったと思います。

毎日顔を合わせている人たちの間で、自然に情報が回る。

その流れの中に常にいる人と、そうでない人がいる。

ただ、それだけのことだったのかもしれません。

それでも私は、ほんの一言から「ああ、やっぱり私はこの程度なんだ」

という結論に飛びました。

情報を知らなかった、という事実よりも先に、自分の価値を少し下に置く解釈をしてしまった。

その”飛躍”は、一瞬でした。

誰かに評価されたわけではありません。明確に位置づけられたわけでもない。

それでも私は、自分の中で自分の立ち位置を決めてしまった。

「中心ではない側」

「優先される側ではない側」

そうやって、自分を一歩外に置いてしまった。

もしかしたら、あの瞬間が特別だったわけでもないのかもしれません。

ずっとどこかで持っていた

”私は真ん中には立てない”という前提が、ただ反応しただけだったのかもしれない。

そう思うと、問題は出来事そのものではなく、私の中の何かが揺れたことにある気がしてました。

ぬるま湯という状態

今の職場は、決して悪くありません。

強いストレスがあるわけでもない。

理不尽な扱いを受けているわけでもない。

だからこそ、動けない。

熱湯なら飛び出せる。

「もう無理だ」と言える。

少し物足りない。

少し寂しい。

少しだけ、心が冷える。

でも致命的ではない。

「辞める理由」と言えるほどの強さはない。

だから、今日もそのまま働く。

この状態は、とても曖昧です。

満足しているわけではない。

でも不幸とも言えない。

誰かに相談しても、「それくらい普通じゃない?」と言われてしまいそうな温度。

だからこそ、自分の違和感を自分で小さく扱ってしまう。

”これくらいで悩むなんて”と。

でもぬるま湯は、じわじわと体温を奪う。

気づかないうちに、「まあいいか」と「どうせ」が増えていく。

その積み重ねが、自分の輪郭を少しづつ曖昧にしていく。

それが一番怖いのかもしれません。

問題は環境か、それとも私か

私は一瞬、環境のせいにしたくなりました。

でも同時に、もっと怖い問いも浮かびました。

もし場所を変えても、私はまた同じように「外側だ」と感じてしまうのではないか。

環境を変えれば楽になる。

そう思いたい。

でも、自分の思考の癖を持ったままなら、同じ解釈を繰り返すかもしれない。

それは環境の問題なのか。

それとも、私の受け取り方の問題なのか。

どちらか一方に決めつける前に、一度立ち止まって整理したいと思っています。

次回への問い

「辞めるほどではない。でも満たされない」

この状態は、甘えなのでしょうか。

それとも、変化のサインなのでしょうか。

問題は人なのか、構造なのか、私なのか。

次回は、この違和感をもう少し分解してみたいと思います。

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